神通力の神々 社
大鳥居神・神々
大鳥居神・神々については、山本貴美子著『一度の人生いかに生きる』福来出版から紹介いたします。
河合村役場で山本の教え子の中畑氏が助役をしていました。
平成15年ころのある日、電話がはいりました。
「山本先生~中畑で~す。お宮さんいらんかな」
「お~ いるぞ 頼むぞ」
ということで、河合村の役場の近くのお宮さんをいただくことになり、鳥居や石灯篭など一切をいただいてきました。
そのお宮や鳥居はかつて河合村の山奥にあったのですが、ダムができて過疎になり、役場の近くに移しであったのです。
その宮や鳥居を将来、天孫宮を創る予定をしているのでいただいてきたのです。
そして本殿はそのまま天孫宮の本殿になっています。
平成17年の秋のことです。
山本は敷地もせまく鳥居を立てて万一、家に倒れてくることがあると大変なので、鳥居を立てることを躊躇(ちゅうちょ)しておりました。
ある日、天孫宮の庭まわりを頼んでいる庭師の岸田氏が「山本先生、ここに横たえている鳥居をどうされるのですか ? 」
「倒れてくると家がつぶれるでなあ・・・」
「鳥居をこのまま横たえたまま放っておくとみっともないし、他人に笑われますよ。俺が絶対に倒れないように立てるで、俺に任せてくれませんか」
「そうか~ 大丈夫かなあ~」
「大丈夫です」
「そうかでは立てるか」
ということで敷地に横たえてあった鳥居が、岸田氏の手によって立つことに決まったのです。
そして、思い立って河合村役場にくる以前の山奥の、神様のほんとうの故郷を山本の弟子数人とさがしに行って、そこにある御神体によい、かっこういい石を拾って帰り、昔住んでおられた懐かしい故里の地から拾ってきた石を御神体にして鳥居の神々をお祀りしたのです。
(山本貴美子著『いちどの人生いかに生きる』福来出版P115~引用)
5,000年前の大鳥居神 今なお 驚くべき神通力
そしてそんなある日の朝のことです。
朝、起きて居間にくると明るいのです。
雨戸が開いているのです。
筆者は「あれ~ もうろくはお父さんだと思ったけれど、昨夕、雨戸を閉じることを忘れたのかなあ・・・」と思いました。
しばらくして山本も起きて居間にきました。
「お父さん今朝、居間にくると雨戸が開いていました。
私(筆者)ももうろくしたかなあ・・・昨夜、閉じること忘れたのかなあ~」というと
「貴美子お前のもうろくではないぞ、まちょっとまっておれよ」と、そのときはそれですみました。
そしてその日の夕方のことです。
筆者は今夜は忘れないように、とまだ外が明るいうちに早く雨戸を閉めようとしました。
すると山本が
「貴美子もうしばらく開けたままにしておけよ」というので「はい」と閉めずにいました。
しばらくして電気をつけました。
また山本が「貴美子電気をつけずにこのままにしておけよ」
「はい」とつけませんでした。
しばらくして外が暗くなってきました。
居間の中も暗いのです。
すると外から街灯の光が居間に差し込んできて居間が明るくなりました。
「貴美子どうやらお前のもうろくではないぞ、夜おそく居間を出る時に雨戸を開いたままで電気を消せばこんなに明るいではないか、こんなに明るければ雨戸を閉めていないことに気がつかないはずはないで、お前のもうろくではないぞ」といいました。
そして山本は精神統一に入りました。
雨戸を開けたのは鳥居をいただいてきた大昔の神であることがわかりました。
「山本がたとえ大風がふいても倒れない所に鳥居を立ててくれることを承知してくれたのでほんとうにありがたく思う」
「雨戸は神さまですか ?」と筆者がお尋ねすると
「そうよ そうよ」
「お名前は何とおっしゃるのですか」
「ほんとうは名前がないのよ・・・五千年経っているやろなあ・・・」
「日抱御魂鎮(ひだきのみたましずめ)をなさったのですか」
「おおやったぞ」
「雨戸を開ける神通力は凄いですね」
「そんなことはやろうと思えばできるんやぞ
この奥(筆者の住んでいる奥)の岸田(山本に鳥居を立てるよう勧めた庭師) は俺の気に入りでなあ・・・
この間拾って持ち帰り、このお宮さんの所に祀ってくれた所を棲家(すみか)にしておるでな」
「今、大きい仕事をしようとしていますのでお願いします」(筆者)
「俺たちも応援してやろうと思っておるがな、他の石を並べてもらって、祀ってもらわさった他の神様たちも、どえらい力をもっておいでになるので応援してくださるとおもうがな・・・
ではあばよ」
(山本貴美子著『いちどの人生いかに生きる』福来出版P117~引用)
「頼みにこいよ」「助けるぞ」と待っていてくださる神々
大鳥居神様はじめ天孫宮の神々様は、真剣に頼めば助けてくださるかつてこの世に偉大な神通力者として生きておられた聖者・神様です
三度お祈りして山本の熱下がる
体は野蛮人のごとく強靭で心は哲人のごとく聡し、とよくいって強靭な体を自慢していた山本も90歳を過ぎると急に弱ってきました。
そして亡くなる前年ころになると、何ら原因がないのに熱が出るようになりました。
ある朝、高熱がでました。
筆者は前の晩よく寝ていないので精神統一ができず、思いあまって天孫宮の神様に「山本が熱を出しているので、どうか下がるように助けてください」と真剣にお願いしました。
そして山本の体温を測るとちょっと下がっているのです。
「あれ~ ありがたい」と思って、またしばらくして、天孫宮にお参りにいき「どうか山本の熱を下げてください、お願いします」と真剣にお祈りしてきました。
そして、体温計で計ってみました。
「あれ~」
下がっているのです。
しばらくしてまた天孫宮にお参りにいきました。
そして「どうか山本健造の熱が下がりますように」と真剣にお願いしてきて、体温計で計ってみると平熱に下がってしまっていました。
とにかく驚きました。
とにかくありがたい、と心から感謝しました。
天孫宮の敷地の中に住んでいるのでお参りにいくといってもすぐ近いのです。
とにかく実際に体験したことなので紹介しました。
(山本貴美子著『いちどの人生いかに生きる』福来出版P121~引用)
天孫宮の神々様は、「頼みにこいよ」と言ってくださっています。
どうぞ、大勢の方がご参拝に来て下さることを願っております。
天孫宮ご参拝者へ
ご参拝はどなたでもできます。
六次元会は会員制で運営しています。
会員の方で特別にお願いしたい事がある場合は事務局へご連絡ください。
TEL:0577-72-2486
FAX:0577-72-5453
応答可能時間
平日8:00~17:00
事務所を留守にする場合もあります
「何とかもっと立派な社にしてもらいたい」山本健造
天孫宮の神々はかつて飛騨から天孫降臨で降りて行かれて、日本の国をひとつにまとめるためにお骨折りくださった方々で建国の神々です。
伊勢神宮の天照大神様は初代大淡上方様から35代目の上方様で、御名はヒルメムチ命様です。
山本健造は平成12年『二千年の悲劇』から社をつくってお祀りすると言い続けて、死(平成19年8月)の2年前の平成17年に何とか天孫宮を弟子達の協力で創り、かろうじて大淡上方様他古代の神々を合祀させてもらいました。
そして山本健造は山本貴美子に、
「建国の功労者の天孫の神々を現在の天孫宮、このような粗末な宮では申し訳がないので、何とかもっと立派な社にしてもらいたい」
「日本の国体の基を創られた大淡上方様、代々の上方様、大八島総祖神の神々の社を丹生川の乗鞍の見えるところに建ててもらいたい、そして伊勢へお参りをしたら飛騨へ、となるように」
建国の功労者や日本民族の先祖方をお祀りすることは道徳であるから頼むと、言い残したのです。
なにとぞお力添えいただきたく、伏してお願い申しあげます。
ホームページの「病気・悩みを家族で癒そう」で紹介しましたアポーツ現象などの心霊現象は天孫宮や研究所を守ってくださっている偉大な神通力者が背景で応援してくださるから起きているのです。
とにかく天孫宮にお祀りさせていただいている大勢の神々は偉大な神通力者なのです。